魂の響きを取り戻す旅:ハワイアン・ルネッサンスと、私たちがカヒコを踊り続ける理由

ALOHA! Ka Hōkūlani HULA STUDIOのMotoeです。

私たちのスタジオの扉をくぐり、古典フラ(カヒコ)に初めて触れた方の多くが、その力強さ、そして奥深さに心を動かされます。それは、現代フラ(アウアナ)の優雅さとはまた違う、魂の奥深くに直接響いてくるような、特別な感覚かもしれません。

では、なぜ私たちはこれほどまでにカヒコを大切にしているのでしょうか。その答えは、単に「古いものが好きだから」という理由ではありません。それは、ハワイの魂が一度失われかけ、そして情熱ある人々によって再びその輝きを取り戻した、感動的な歴史の物語と深く結びついています。

今回は、私たちが踊る一歩一歩に込められた想いの源流である、「ハワイアン・ルネッサンス」という文化復興運動についてお話ししたいと思います。

静寂の時代:失われかけた文化の灯火

19世紀、西洋文化の波がハワイ諸島に押し寄せたことで、ハワイ固有の文化は大きな試練の時を迎えます。キリスト教の宣教師たちは、神々や自然への祈りを捧げる神聖な踊りであったフラを「不道徳」とみなし、1830年には公の場でフラを踊ることが禁じられてしまいました。

文字を持たなかった古代ハワイの人々にとって、フラは歴史を語り、神話を伝え、知識を継承するための、いわば「生きた書物」でした。その実践が制限されたことで、ハワイ語の使用も衰退し、文化の根幹が揺らぎ始めたのです。

魂の覚醒:1970年代、ハワイアン・ルネッサンスの波

しかし、人々の心からアロハの精神が消え去ることはありませんでした。1970年代に入ると、自分たちのルーツを見つめ直し、ハワイ人としての誇りを取り戻そうとする力強い運動が、島々の至る所で巻き起こります。これが「ハワイアン・ルネッサンス(ハワイ文化復興運動)」です。

この運動は、ハワイ語の教育を復活させ、伝統航海術を蘇らせ、そして何よりも、フラ、特にその根源であるカヒコに再び光を当てました。それは、単なる文化の復元ではなく、自分たちのアイデンティティを取り戻すための、魂の叫びにも似たムーブメントでした。

時代の先駆者たち:カヒコに新たな命を吹き込んだクムフラ

この文化復興の波は、情熱とビジョンを持った指導者たち、すなわちクムフラ(フラの師)によって牽引されました。

その中でも、1980年代の男性フラに革命をもたらしたとされる伝説的なクムフラが、故ダリル・ルペヌイ氏です。彼は、それまで失われかけていた、力強く、戦士のような気高さを持つ「ウォーリアー・スタイル」のカヒコを再興させ、男性がフラを踊ることの力強さと美しさを再び世に示しました。彼の指導するハラウ(教室)が見せる、大地を踏みしめ、天に祈りを捧げるダイナミックなパフォーマンスは、多くの人々に衝撃と感動を与え、カヒコの新たな可能性を切り拓いたのです。

また、メリー・モナーク・フェスティバルの共同設立者である故ジョージ・ナオペ氏のように、フラが現代化しすぎることを憂い、その伝統を守り、広めるために生涯を捧げたクムもいました。彼らの功績がなければ、私たちが今日、これほど豊かなフラ文化に触れることはできなかったでしょう。

大地を踏みしめ天に祈りを捧げるウォーリアースタイルのカヒコを踊るmotoe
大地を踏みしめ天に祈りを捧げるウォーリアースタイルのカヒコ Motoe

私たちのスタジオに流れる想い

この歴史は、私たちKa Hōkūlani HULA STUDIOにとって、決して遠い昔の物語ではありません。私がハワイアンネーム「Hōkūlani」を授かったクムは、まさにこの伝説的なダリル・ルペヌイ氏の直系であり女性初の弟子(haumana wahine)のひとりでした。

私たちがレッスンでカヒコの一歩を踏みしめ、オリ(詠唱)を唱えるとき、私たちは単に古い踊りを真似ているのではありません。私たちは、文化の危機を乗り越え、フラの魂を守り抜いた先人たちの情熱と祈りを、自らの身体を通して追体験しているのです。

私たちが競争や評価から離れた「聖域(サンクチュアリ)」のような空間を大切にするのも、この歴史に基づいています。フラは本来、誰かと優劣を競うものではなく、自分自身の内なる神聖さと、仲間、そして自然との繋がりを感じるためのもの。ハワイアン・ルネッサンスの先駆者たちが取り戻そうとしたのは、まさにその本質だったと信じています。

この物語を知ることで、あなたのフラが、より深く、意味のあるものになることを心から願っています。

心を込めて Motoe

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