魂を揺さぶる舞の記憶─フラの革新者 ダリル・ルペヌイ師を偲び、その功績に捧ぐ

ALOHA! Ka Hōkūlani HULA STUDIOのMotoeです。

私たちが古典フラ(カヒコ)を踊る時、その一歩一歩、一つの手の動きに、何世代にもわたる人々の想いや物語が込められていることを感じます。フラは、単なる動きの連続ではなく、歴史そのものを身体で語り継ぐ、壮大なリレーのようなものです。

そのリレーの中で、ひときわ強い光を放ち、フラの歴史の流れを大きく変えた一人の天才がいました。彼の名は、ダリル・イヒイヒラウアケア・ルペヌイ(Darrell ʻIhiʻihilauakea Lupenui)。

今回は、私自身のフラの道筋にも大きな影響を与えた、この偉大なクムフラ(フラの師)の功績に、心からの敬意を込めて光を当てたいと思います。

時代の風が生んだ、力強い才能

ダリル・ルペヌイ氏がその才能を大きく開花させた1980年代は、ハワイアン・ルネッサンスという文化復興の力強い潮流の中にありました。失われかけていたハワイの言語や文化、そして誇りを取り戻そうとする情熱が、島々の隅々まで満ち溢れていた時代です。

そんな時代に、閃光のように現れたのがダリル氏でした。彼は、それまでのフラのイメージを覆す、革命的なスタイルを世に示したのです。

「ウォーリアー・スタイル」の再興

ダリル氏の功績として最も讃えられているのが、男性フラにおける「ウォーリアー・スタイル(戦士のスタイル)」の再興です。彼の指導するハラウ(教室)「ワイマプナ(Waimapuna)」が見せるパフォーマンスは、ただ美しいだけではない、古代の戦士を思わせる力強さ、俊敏さ、そして大地を揺るがすほどの気迫に満ちていました。

1986年のメリー・モナーク・フェスティバルで披露された、モロカイ島の戦士たちをテーマにしたカヒコは、今なお伝説として語り継がれるほど、観る者に衝撃を与えました。それは、フラが持つ、荒々しくも神聖な男性性の側面を、鮮やかに現代に蘇らせた瞬間でした。彼の振り付けは、時にアスリートのように過酷で、ダンサーたちに極限の持久力と精神力を要求したと言われています。

ウォーリアースタイルのカヒコを踊るmotoe
ウォーリアースタイルのカヒコを踊るmotoe

短くも、永遠に輝く光

しかし、その才能が燃え盛る炎のようであったがゆえに、彼の人生はあまりにも短いものでした。ダリル氏は1987年に若くしてこの世を去ります。

彼の早すぎる死は、フラの世界に大きな悲しみをもたらしましたが、その功績と魂が消えることはありませんでした。彼の追悼式には何千人もの人々が集い、彼が亡くなった翌年のメリー・モナーク・フェスティバルでは、大会全体が彼に捧げられました。

彼の教えは、「イヒイヒラウアケア(ʻIhiʻihilauakea)」という彼の系譜の名と共に、彼を敬愛する弟子たちによって大切に受け継がれ、今もなお多くのダンサーにインスピレーションを与え続けています。

私たちに繋がる、一本の糸

私がこの偉大なクムフラの物語を、これほどまでに大切に想うのには理由があります。

第三者評価レポートにも記されている通り、私がハワイアンネーム「Hōkūlani」を授かったクムは、この伝説的なダリル・ルペヌイ氏から直接指導を受けた、数少ない女性の弟子のお一人でした [1]。

私がカヒコを踊る時、その動きの源流には、ダリル氏が命を懸けて蘇らせた、フラの力強い魂が確かに流れています。その事実を知るたびに、私はこの文化を継承することの重みと、その一端を担えることへの深い感謝を感じずにはいられません。

私たちがスタジオで大切にしている、競争ではなく、自分自身の内なる力と向き合うという姿勢。それは、ダリル氏が示したような、他者に誇示するためではない、自らの魂を高めるためのフラのあり方と、どこかで繋がっていると信じています。

ダリル・ルペヌイという偉大な星が遺してくれた光。 その一筋でも、私たちの踊りを通して、皆さんの心に届けることができたなら、それ以上に嬉しいことはありません。

Me ke aloha pumehana, Motoe

この記事をシェアする: