「陽気な王様」が守った、フラという鼓動

ALOHA! Ka Hōkūlani HULA STUDIOのMotoeです。

フラを愛するすべての人にとって、
「メリー・モナーク(Merrie Monarch)」という言葉は、特別な響きを持っていますよね。

それは、毎年ハワイ島ヒロで開催される、世界最高峰のフラの祭典の名。
けれどこの名前が、実は一人の偉大なハワイ国王に由来していることを、ご存知でしょうか。

その名は、デイヴィッド・カラカウア王(King David Kalākaua)。
彼がいなければ、私たちは今、こうしてフラを踊り、学ぶことができなかったかもしれません。

今日は、ハワイ文化に大きな光を残したカラカウア王の物語をお届けします。

今でこそハワイ文化の象徴として愛されるフラですが、その歴史は決して平坦ではありませんでした。
19世紀、ハワイにキリスト教の宣教師たちが到来します。
彼らの厳格な価値観の中で、神話や自然を讃えるフラは「不道徳」で「異教的」なものと見なされていきました。

そして1830年。
カメハメハ大王の妻であるカアフマヌ女王は、フラを公の場で禁じます。
フラは、ハワイの地から姿を消していくことになりました。

この禁止令が意味したのは、単なる「踊りの消失」ではありません。

古代ハワイアンにとってフラは、神話や歴史、王族の系譜を語り継ぐ「生きた図書館」でした。
文字を持たなかった彼らにとって、フラは記憶と伝承そのもの――命の器だったのです。

だからこそ、フラの禁止は、
ハワイアンの「歴史」と「魂」を削いでいくことにもつながっていきました。

そんな沈黙の時代に立ち上がったのが、1874年に即位したカラカウア王です。

「メリー・モナーク(陽気な王様)」の愛称で知られる彼は、芸術と文化を深く愛し、
同時に、ハワイの伝統が失われていくことへ強い危機感を抱いていました。

彼は「Hoʻoūlu Lāhui(国を発展させよ)」というモットーを掲げ、
西洋化の波の中で、ハワイアンとしての誇りを取り戻そうとします。

その象徴的な行動が、1883年の戴冠式、そして1886年の50歳の誕生日祝賀(Silver Jubilee)でのフラの復活でした。
王は、かつて禁じられたフラを堂々と披露させ、ハワイの「公式な文化」として世界に示したのです。

カラカウア王はこう語ったと伝えられています。

“Hula is the language of the heart, and therefore the heartbeat of the Hawaiian people.”
フラは心の言語であり、故に、ハワイアンの心臓の鼓動そのものである。

彼が守ろうとしたのは、単なる踊りではなく、
ハワイアンの「歴史」「アイデンティティ」「魂」そのものでした。

もし彼の勇気ある行動がなければ、
私たちが今学び、踊っている古典フラ(カヒコ)の多くは、失われていたかもしれません。

私たちがカヒコを踊るとき。
それは、カラカウア王が守り抜いた「心臓の鼓動」を、いまこの手に受け継ぐ行為でもあるのだと思います。

Me ke aloha pumehana, Motoe

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